My HEALTH


 このコンテンツは、自分が忘れないための、2003年以降の単なる病歴記録で



2016.03.03 『人間、死ぬときは死ぬのさ!』 

2015年3月から続いていた私の不整脈治療だが、ドクターショッピング4院目となる六本木の心臓血管研究所付属病院に受診して不整脈専門担当医からの説明で、私の場合は随所からランダムに不整脈信号が出ており、
治療が困難であることを告知された。私の場合は心室頻脈から心停止になる可能性があるそうで、ココでも埋め込み型除細動器の可能性の説明を受けたが『運転免許は取り消しになるし、心停止なんかを気にして毎日生きていたら、自分の人生では無くなってしまう!』と熱く持論を展開し、近い将来その日(心停止)が必らず来るので覚悟しておくことと、その際には献体登録してある東邦大学大森病院に速やかに連絡し、葬儀は一切取り行わないことを何度も家族に申し聞かせているので、今後は半年ごとの経過観察と、ベータブロッカーのアーチスト(僅かだが心停止の可能性を下げる効果があるようだ)を予防措置として微量に常用することにした。ただし、大量服用だと血圧低下から透析自体が出来なくなってしまう危惧も併せ持つ。因みに私は母、妹、妻からの腎臓のドナー提供を今まで拒否している。でもコレで自分の中で丸一年間続いていた不整脈騒動が、気分的にだが払拭された感じでスッキリした。そういえば、よく、『子供が小さいから、まだ死んじゃダメだよ!』などとと言われるが、背中に背負った命の蝋燭の長さは自分では決められないし、時には燃え尽きる前に吹き消される場合もあるだろうし。思えば祖父も父も40代で亡くなっているので、それに比べれば私はまだ長生きの方だ。物心ついてから私の最大の目標の一つは父の年齢を超えることだったし、さらに沢山の病気は患ったが再婚で人生も2回楽しんでるし、、、

そこで映画インタースティラーのDトマスの詩を連想した。それは、穏やかな夜に身を任せるな、老いても怒りを燃やせ、終わりゆく日に。怒れ、怒れ、消え行く光に。ただあるがままに死を受け入れるな、たとえ死が訪れようとも、諦めず怒りを燃やせ、怒りをもって死に抗い続けろ!と坂本龍馬の、たとえどぶの中でも前向きに倒れて死ね!だ。


2015.07
腹八分目のかなり手前で止めたつもりでも、最近毎晩のように続く夕食後の嘔吐で、徐々に体重も減少し軽い拒食症のスパイラルになっているので、逆流性食道炎の再発を疑い胃カメラ検査。結果は、どうやら噴門が少し緩くなって胃酸が逆流しやすくなっているらしい。

2015.07.30
足の付け根に粉瘤もしくは脂肪の塊が出来て、一円玉より一廻り小さいので、切除を希望したら、夏は暑いから涼しくなってからになった。
追記 2015.09 なぜか跡形も無く消滅。


2016.06.22 埋め込み型除細動器


2015.05.31  最近、良くない事が連続したが、地道にひとつひとつリカバリーしよう!
大学病院で処方された不整脈治療薬の副作用で、血圧がどうしても上がらず、人工透析用血管であるシャントが閉塞して緊急手術を受け、そして低血圧から来る透析不良から手足がムクんで、体が怠くて駅の階段が苦しく、起立性低血圧から自宅で何度か気を失って倒れ、外出も気楽にできなくなってしまった。 追記:不整脈治療の特効薬であるアミオダロンは効果が出るまで最低3ヶ月掛かるとのことだったが、同様に薬の副作用も投薬を中止しても直ぐには副作用が消えず、血圧が戻るのに投薬を中止してから一ヶ月以上掛かり、その間前述の様に色々と苦しんだ。加えて治療面では大学付属病院の外来をたらい回しにされ、担当医が5回も替わり、最後のやる気の無い若造医師からは『もう対策はありません』と言われ、自分の命を粗末にしていると感じたので、有料で検査データのCOPYを貰い、そのデータとホームドクターの紹介状を持参して、3回目の転院になるが大崎の東京ハートセンターを6月4日に受診した。

追記

血液検査から、ナトリウムとカリウムは低空飛行レベル、リンは優秀、血小板は何故か回復。40台をキープしていたヘマトは、やや貧血気味。


2015.03.15

見た目には確かに大腿大動脈が太くはなっているが、体感的には足裏の感触が少しだけ戻った気もするが、感触が戻ると痛みが増すというか、痛みを感じられる。例として、足湯などで血行が良くなると爪が剥がれそうなほど痛みが酷くなるが、それは血行が良い証拠として自分自身は受け入れている *とにかく壊死・切断に至る道に半歩でも進みたくはないので、、、、それと膝から下の動脈閉塞はオペしても直ぐに再閉塞するから行わないそうだ。



今回は入院しなかったが、不整脈の薬の副作用が出て低血圧が続いたので、その薬は中止したが、今度は人工透析に耐えうる血圧が維持できない。血液検査の結果、何とナトリウム不足!透析中にNaClを注射され、脊髄から腰の辺りに熱感を感じ、一瞬ギックリ腰になった様な違和感を感じた。医師からは、めったに言わないであろう『もっと塩分を摂りなさい!』ラーメンを毎日のように食べているのに、

突然のシャント狭窄で、緊急手術


不整脈のために処方された、アーチストとアミオダロンの副作用で、突然に大幅な血圧低下と、血小板も20万から5万へ何故か急落。さらに低下した血圧からかシャント(透析用に手術した血管)の狭窄も顕著で、このままでは針刺しが出来す、満足に人工透析が続けられないので、急遽、日暮里の関川病院で緊急のPTA(経皮的血管拡張術)を行った。そして、今回のオペは大成功だったが、経験豊富な医師が最初に動脈と静脈の縫合部を両手の親指で力一杯グリグリ揉まれて悶絶したが、これだけでも血流は改善された!さらに先端に風船(バルーン)のついたカテーテルをシャント血管内の狭くなったあちこちの狭窄部に、生理的食塩水でバルーンを膨らませて狭窄を拡張するオペを行ったが、動脈硬化の進んでいる私はカテーテルのオペが今回で7回目となり、その経験豊富な医師からも『3年持つかなあ?』との宣告を受けた。さらに血小板の急減は無くなった母の再生不良性貧血を連想するので、ドクターショッピングを恐れずに、3rd、4thオピニオンをしてでも、徹底的に調べよう!
*数日後の追記、13万まで回復しました。




急性肺炎で炎症反応の自己記録を更新!

心配させる意図は無いが、銀座に出勤して仕事をして、地下鉄で病院へ向かう途中で少し息苦く風邪気味だなあと思っていたら、駅の階段で息切れして、到着駅からは短距離だがタクシーで病院まで行き、院内では迷わず車いすの世話になり、透析中は抗生剤の点滴と酸素吸入でサチユレーションを維持した。採血したら炎症反応(CRP)の値がとんでもなく高い値になっておりワイセ(白血球)も高い。


 

レントゲンでは肺に影や水も溜まっていないようだったが、来週は心臓の手術を控えているので、早めに何とかせねば!過去にCRPが15とか18でオペが出来ずに、モタモタしている間に血中カリウム値が8を超えて心不全を起こし、看護師さんの顔に大量に嘔吐して意識が途切れ、慌てて緊急透析をしたこともあったし、、、あの息苦しさと、マンホールか穴の中に落ちていくような感じで意識が途切れていくのは嫌な感じだった。もっとも、透析開始後10分でケロッと気分が良くなり、会話も平常に出来るようにはなったが、、それと昨年秋には低カリウム血症(血中カリウム値2.9)で入院もしたが、、



さらに翌日CTで見たら、肺の右下部に大きな炎症の陰が出た!あとは喀痰培養の結果待ちだが、地域医療連携で心臓手術の延期が自動的に確定し、暫くは抗生剤ロセフィン100mg点滴の日々が続くことになる。




最近、脈が飛ぶ=不整脈があり、24時間心拍計を着けたが、テープを一気に剥がしたら大量に胸毛が抜けてヒリヒリ!
原因は血中のカリウム濃度が低いのだろう、、、


そして結果は?

透析センターの主治医が、今まで170名診ていてこんなに乱れた脈拍は初めてとのこと! どこかの神経を焼くのか、薬で治療か、ペースメーカーなのか判らないが、とにかく総合病院の循環器内科へGOだ!





近況 爪が剥がれた!

もともと左足の小指は若い頃、警視庁指導センターのスラロームやコーナーリングで何度もコースの縁石にヒットしてヒビが入り、内出血しようが変形しようが、当時はビンボーで医者にも行かず、ヒットを繰り返す内にあまり痛みも感じなくなって来て、小指の変形は勲章気分だ!で、そのまま長年放置していたので、もし糖尿で皮膚が黒ずんで来たら壊死する前に迷わず切断しようと覚悟していたが、2013年10月4日には左足小指の痺れが突然強い痛みに変わり、歩くのも辛いので、とうとう壊死が始まったかも?と覚悟して受診したら、何と雑菌による感染だった。思えばその前数ヶ月間は入退院を繰り返したので、抗生物質の投与・中断を何度も頻繁に繰り返しており、逆に体の常在菌が無くなって雑菌に感染しやすくなってしまったようだ。とりあえず数日間は土日を問わずユナシンS3gの点滴のため毎日通院して一週間で完治した。 追記 半年後新しい爪は生えてきた。

そして2014年7月20日、風呂上がりに足をタオルで拭いていたら、ポロッと小指の爪が無痛で剥がれた。糖尿病の症状として爪の剥がれが有るそうだが、HgA1Cは2012年のNGSP基準で5.9〜6.2と問題なく、糖尿の進行はほぼ完全に止まっているが、過去の蓄積で随所に糖尿の合併症が出ていて、医師の診断では、爪を作る組織が若い頃の打撃で弱ってる上に、加齢と糖尿で末梢血管の血行不良が加わって、取れたのでは?とのこと。避けられない運命を改めて悟ったが、また生えて来る可能性も高いとのこと!過去にガンマGTPが1,200を超えたときも、ステロイドの大量長期投与で爪が生え替わり、全身が脱皮もしたなあ。



主な病歴

2015.03.19〜 不整脈でカテーテルオペを繰り返す

2014.11.17 低カリ血症で検査入院
カリウムの血中濃度が2.9まで低下して入院したが、なかなか数値が上がらず、生活全般の改善も必要かも、、

2014.06.09 動脈狭窄で入院

結果は白に近い灰色で、12月に再検査となった。

2014.01.27 高リン血症で入院
P=phosphorus リンの血中濃度が9.6まで上がって入院し、3.3まで下がった。

2013.09.18〜27 カテ抜去 
Catheter removal Final とうとうCAPDの継続が困難になって、血液透析となり転院した。

2013.08.14〜28 カテ再形成術   
Catheter removal and reconstruction surgery Catheter relocation 4度目のカテの入れ替え

2013.07.03〜04 カテ移動       
Catheter relocatio but Failed3rdtimes 3度目も失敗

2013.06.11〜20 カテ移設と皮膚腫瘍 
Catheter removal and Skin tumor 昨年8月にショートカットしたカテがまた感染の様子。更に皮膚科でニキビを見て貰ったら、、

2012.09.05 生理的飛蚊症(ひぶんしょう)
 視点を左右に動かすとゴミもついてくる。生理的飛蚊症と診断で網膜は問題なしで、そのまま放置。

一応サプリを飲んでみよう


2012.08.01〜27 カテーテル感染  
嫌気性の菌で、傷口を縫わず解放で長期入院で治癒


2012.07.19 老人性ニキビ      


      2012.02.09             
空腹時に咳から激しい嘔吐が頻発し流行の逆流性食道炎を疑ったが調べたら問題なし。原因は脱水状態により喉のイガイガ感が増すことで、カラカラな喉が咳を呼び、飲み薬のレグパラの副作用も伴い、吐き気に発展しているのが原因と判明。血行不良も同じく脱水状態が原因。つまり過度の減量と厳しすぎる水分管理でドライウエイトを下げすぎた。そこで、ウエイトを3kg上げたらウソの様に解消!今年も入院を繰り返す生活が続くのかと思ったが、これでしばらくは安泰かも。
2014.11追記 逆流性食道炎は悪化した。



2011.11.03 大腿動脈バルーンと禁煙 
動脈硬化が進んで足のしびれが顕著。これはもう治らない
この時点で医師から“5年後にバイクに乗れる保証は出来ない”と宣告され、駆け込みでもう一台バイクを買った。



2011.10.03〜13 突発性難聴     


2011.07.09 腹腔鏡オペ        
PDでメジャーな王子病院で    

2011.03.31 白内障          
  
   2006年ヲバカな大学付属病院の担当医(2世)に大きな疑義が生まれ、2ndオピニオンで病院を替えた。
*その後も何回も入退院を繰り返す(途中は省略) 


ステージ3 2004年〜2005年              
   
気がつかないうちに心筋梗塞、急性心不全、ネフローゼとどんどん進行して人工透析へ
同時にリストラ&家庭崩壊を味わう
                             
 
ステージ2 2003年秋 HSSでガンマGTPが1,200に急上昇


  ステージ1 2003年春 帯状疱疹で入院から糖尿が発覚     
  
 

意識混濁の哀れな自分を忘れずに、日々の健康に感謝
           
     
     
禁煙へのトライ