SELF(自己紹介)

なんでca2なのか? ポルシェ911カレラ2を964ca2と呼ぶ為。CAZ(キャズ)や、カニ ではありません。
人生後半にさしかかり老化が進んでいますが、『飽きない・諦めない』をモットーに好き勝手をやっています。
NAME: Kiyofumi Ogawa 氏名 小川清史 *レッドウォーリアーズとは関係ありません。所在 東京都世田谷区代沢1丁目
世田谷区立代沢小学校→同区立富士中学校→都立明正高校24期生(廃校)→東洋大学機械工学部卒

ca2@ca2.jp (シーエー・ツウ@シーエー・ツウ.JP)
 MIXI みんカラ アメーバ ID: ca2  更新無し   FACE BOOK  ID: kiyofumi ogawa 更新無し



妥協をしないはぐれモノで、19歳でバイクメーカーの契約インストラクターとなるが3年前に引退させられ約35年のノウハウはダレにも引き継がれることなく墓場まで持って行くことにする。併せて大学卒業後、大手建材メーカー子会社に就職し、営業マンから3部門の管理者(取締役)になるが、役員会で親会社の社長を怒らせ2003年に25年のサラリーマン生活をあっさり終える。さらに単身赴任の無理も祟って劇症肝炎、心筋梗塞、ネフローゼ等の発症で、人工透析生活(一級身体障害者)となるが、同時に家族にも見放され、あっさりと妻子も失う。*50歳でリストラ、発病、離婚を契機に年を取るのをやめました。映画ブリキの太鼓なら、いつまでも50歳のオスカル君です。
      
しばらく暗黙・極貧の潜伏生活を自ら選択し体験の後に、今までの人生が、生活も仕事面でも結構良いところまで行くが結局途中で挫折することが自分の運命のようであり、このままのたれ死にするのはどうしても納得出来ないので、残された余命で人生のやり直し(再構築=リ・ストラクチャー)=リトライに全力で取りかかり、以前から出資していた会社に席を置き、チョコマカ仕事もしながら、さらに普段はネクタイと靴下をやめてピアスと茶髪で(出来ればタトゥーもやりたいと)過ごしている。さらに2006年には元部下と再婚し孫のような宝物の長男も生まれ、家族との時間と自分の趣味に残りの人生の全てを全力投入している。以後、やりたいことは諦めない、妥協しない の路線で悔いの無いよう懸命にハチャメチャを極めようとしている。

 
       2012.01.13撮影

【近況】
@狭いガレーで工具類を揃え、4台目のハーレーとなる2007年スポーツスターXL1200Lのカスタムをしています。(2011.10にギャレットのT25ターボを付けました)
A密閉車庫には1992年製ポルシェ964ca2を19年間動態保存しております。(時々乗ります)
B15年ぐらい前まではクロノグラフのコレクションをしていました。(いまは経済的に断念といいながらボチボチ集めていて、最近ではパネライのデイライトがお気に入り)
B3FオーディオルームでALTECの40cm同軸604−8HV+300B真空管サウンドと、2Fビジュアルルームで70インチ・ハイビジョンライブを分けて楽しんでいます。
CB(C)級グルメにも熱中していますが、最近は食欲が落ちていています。
D家族と行くハワイ旅行にも熱中しています。(一昨年までで多分25回)*昨年は訳あって封印、2012年は6月決定
E持病のためCAPD+HD(人工透析)を7年やっています。
F2011年5月に黄色いベスパLX150ieを買いました。


禁煙 2012.02.20更新  

私的闘病生活
 2003.09.15〜

バイク履歴

自動車履歴


前置き・その1(前科・前歴)
私はメーカー系ライダーを2007年まで約35年やっていました。現在は公務での指導も無くなりましたが、ブレーキング・パラノイアでXJR1200,1300の頃はパットを炭化させたり、過熱したDSIKで煙草に火を付けては遊んでいました。フロントタイヤは500km程度で段つき偏摩耗で交換が常で、4輪でもDISK過熱から車両火災も経験していますし、ポルシェも独断でブレーキは手を入れています。

前置き・その2(マスコミ)
○私はオートバイ雑誌を知りません。1974年にちょっとだけ出ましたがそれ以降雑誌は殆んど買いませんし、今の雑誌は読んでも意味がわからないことが多く、ハイテク・ライダーが自分の視点からエンドユーザーに高度・検証不可能な内容を自慢げにひけらかすのは嫌いです。ライディングについても読んでいて全然意味が判らないし、提灯記事にもウンザリ!内容の受け売りもしたくないし感化もされないよう自分の出会いと経験だけで現在まで来ました。乗り手を選ぶなんて書かないで、乗りにくいと書け!さらに設計・制作者側の嘆きは、ヘタクソ・ド素人が好き勝手に書かれて困惑という気持ちもあるようです。

○マスコミは全般に嫌いで、テレビもインタビューで名前を紹介されて数回出たが、勝手に編集して私が言いたいことを歪められるのはもう沢山。

前置き・その3(あたまデッカチと無知)
○過去に、会社の部下の女性にフレンチのフルコースをご馳走したことがあります。そしてその後で、何が一番美味しかったか?と聞いたら‘デザートで出たアイスクリーム’他は食べたこと無い物ばかりで、比べられないからわかんないモン!だって。そういえば中華の時はフカヒレではなく‘焼きそば’と言われたこともありました。それはそれで、良いでしょう。趣味でも免許を取って直ぐにハーレーも良い、フェラーリも良い、でも多くの経験を積んで自分の中のリファレンス(比較対象の基準)を磨くことが趣味の神髄であると年の功で考えています。

○ 知り合いにR32GT−Rを新車で購入し、そのままSHOPに持ち込んで800馬力にして貰った豪傑がいます。でも、色々な(自分でやる・SHOPでやって貰うは別にして)疑心安危を経て、たどりつく過程と自分の体験・手応えが趣味として私は楽しいのであって、趣味は結果ではないと思います。学問に王道なし、趣味に近道無し!?でも、最近のハイソカーは最初から500馬力。トラクションコントロールが無いと思いっきり踏めないのは楽しくないかな?

さらにスポーツカーの定義も変わりつつあり、速い車がスポーツではなく高価格な車が【速い車】であり、狭くて乗り心地が悪くて、運転に神経を使うが、反面乗って楽しい1トンを切るような軽快なスポーツカーはもう出ないのかなあ? バイクでもYZF−R1よりYZF−R6の方が気楽に楽しいし、大型客船よりも小型モーターボートの方が操縦は楽しい筈なのに、、、

前置き・その4(ライダー)
○バイク性能の進歩は凄いが、ライダー側の進歩は殆んど無い!?かえってネットの普及で頭でっかちな上に高性能がありふれて危険があちこちにあり、誤解を恐れずに独断で思うなら、XXXを換えて走って見たら結構良かった!とかのアマチュア・ライダーの文言も100%無条件には信用しない方が良い(私のを含めて!)ノーマル(純正)の持つパフォーマンスを正確に把握出来ているのだろうか?と疑問に思うコトが最近特に多い。

○走行マナーは特にスクーターが良くなかったが、最近はライダーの激減でこれらの記述はなんかどうでも良くなった。
暴走自転車を何とかせねば、、、でも欧米と比較すると、最近の日本のバイク・マナーは最低クラスで、バイク技術は先端・先進国でも、マナーは東南アジアに次いで低いと思うが、日本の都心においては駐車場所確保が出来ないことからバイクだと行かれない(行けない)場所が多くなり、バイクの使いにくさでという点では世界トップクラスである。これも教習所での大型二輪免許取得、高速二人乗りなどと同じで外圧でないと解決しないのかなあ。

TPPとは別で、今回だけはアメリカが
【日本におけるバイクの駐車場不足が障害となっている】と言ってくれないかなあ。とにかく電動アシスト自転車の台頭と若いライダーの激減でバイクは50歳以上の嗜好品になりつつあり、バイクと俳句、盆栽とゲートボール???今後バイクは高齢者の趣味と一部配送業務しか残らないかも。

前置き・その5(理屈)
私のロジックは@事実→A問題点→B対策→C対策への障害→Dその障害への解決策を常に意識しています。しかし、問題点無くして対策(パーツ交換)に走る傾向が私にもあり、パーツ交換に明け暮れて、その差の手応えを実感するのも楽しいことですが、ノーマル(リファレンス)との比較を忘れないことです。いずれにしても、吊るし(ノーマル)では満足できない性分に言い訳は出来ません。さらに新しい物好きで直ぐに飛びつく性格から、パーツ以外でも、Lカセット、βカム・ビデオ、アナログハイビジョン、HD・DVDなどで無駄な散在を繰り返してきました。でも、そのプロセスが趣味であり楽しければ良いと勝手に正当化しています

前置き・その6
個人消費の拡大が震災復興への最大の貢献だ! そして、買い物の王道が、家電ならRABIヤマダで店員さんにさんざん説明をさせてから、ネットの価格コムで最安値の店で買うようなセコイ手をみんながやったら、業界は成り立たない。たとえばブランド品なら、@買うのを迷ったらとりあえず買っておく、A2つ迷ったら両方買っておく、ことをルールにしている。さらに王道はズバリ:正規代理店で定価で買うのが、社会への最高の貢献であり、ステータスでもあると思う。

あるコピー大国の人が、ブランド品の安物コピーを平気で持ち歩き、インタビューで『自分には本物を買えないから、本物の売り上げには邪魔をしていない!』と堂々と言っていたが、私は違うと思う。それと今まで、旅の記念や、頑張った自分へのご褒美に時計をいくつか購入して来たが、いい歳コイて、コピー時計を自慢げにしている元部下を見つけたが、(頑張らないで)偽のご褒美を周囲に見せびらかすのは最低だと思う。若い人が洒落でフェイク・ウオッチをするのはまだしも、4〜50歳代の、人生ど真ん中の分別のある世代がフェイク物を持てば、その人の人生そのものがフェイク化(陳腐化)するし、これは軽蔑に値する。当然その彼には
【友達仕分け】で最近縁を切った。

前置き・その7(同世代ヲヤジに告ぐ)
リストラと言えば、私事だが合併した会社から7年前に一方的なリストラ通告により、同志だった部下と共に退職し、その後それぞれは当然多少苦労したが、その時点で会社に残った同僚や後輩達は安堵感と、会社に残れて勝ち組気分だったようなので、ある時『涙をのんで辞めていったオレ(もしくはオレ達)の痛みを感じてオマエ達は仕事をしているのか!?』と思わず言ってしまった。

しかし時は流れ、今やその会社があまり芳しく無いようで、大規模なリストラ&減給・減俸で当然元後輩達には昇進もなく、元先輩はフリーライダー化し、元同僚も蠅の王のようなイジメに遭いながら定年まで会社にしがみつくのが精一杯の様子らしい。先日もリンガーハットで私と一緒に会社を辞めた元部下の同志と『あの時、決断して辞めて本当に良かったね!』で話が盛り上がった。時代が変わると立場も変わるものであり、ある決心がその後の運命を大きく変える事もあるんだなあと実感した。

勝間和代の著書
まじめの罠にハマっている人たちでは、本当は意味がないかもしれないルーティンワークをつまらないとも思わず、コツコツと長時間それに耐えることが美徳と考え、(中略)いい学校から名のある企業に就職し、結婚して、子供が出来て、郊外にマイホームを長期ローンで買い、1〜2時間かけてせっせと会社に通勤するといったような人生を『何の疑問もなく歩んでいる・・・とあるが、私は、疑問の無いところに変化はなく、決断のないところに進歩は無いと思う。映画ターミネーター2で女戦士サラ・コナーがテーブルにナイフで刻んだNO FATE BUT WHAT WE MAKE=♂^命は自分で切り開くものだ!を連想した。

毎日が健康であることを感謝し、精一杯楽しみ&苦しみ、生きていることの実感を味わいながら変化を恐れず、自分の志を曲げずに人生を自ら変えて行こう。その方が絶対楽しいし、そうでないと、最後に悔いが残ると思う。やらない後悔より、(たとえ失敗しても)やった後悔の方が良いなあ。さらに無駄な忍耐は無意味なので最近は調子に乗って、アカン嫁や甲斐性のない旦那を持っている知人には、自信を持って
早めにバツイチになる決心を積極的に勧めている。

それと同世代と話すと必ず出てくる、定年まであと何年、住宅ローンがあと何年、年金もらえるまであと何年?の
引き算人生はやめよう。私はもうXX歳だ!だと死ぬまでモウ!モウ!で牛の連続であり、私は死ぬ直前まで未だXX歳だ!のマダマダで、行きたい・生きたい・逝きたい.

追加 2011年の友達仕分け



最後までお読み頂き有り難うございました。それでは350ページを超える私のふしだらな世界をお楽しみ下さいませ。




              
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              次回の主役!?大胆にも惜しげもなく登場!