友達仕分け(2011年暮れの人間関係の大掃除)
私は失礼ながら、リストラ後年賀状をやめた。そして昨年から、義父、実母、義弟などの身の回りで訃報が続き、故人の親族・知人・友人との関係がそれそれ特徴的だった。親族関連は、昨年母が亡くなった時から、ミニマムな相手とのみ、今までより親密に行うよう路線変更をし、故人の遺志もあり、葬儀にも友人や親類関係をほとんど呼ばなかったし、勝手に今後は自分も祭事にも行かないことにした。
どうでもいい話だが、私の最初の友は2歳の頃、いじめっ子でもあった2歳上のマモくん。(その後音信無し)次は、3歳の時、隣家の八百屋さんのキミちゃん。(2年後に病気で死亡)そして、幼稚園では、私があまりにも反骨精神旺盛で、言いつけを守らずひねくれていた上に、集中力散漫で、一切友人は出来なかったし、幼稚園からもマークされ、私一人が制服に赤いリボンのマーキングを縫い付けられた。そのことは今でも、私の人生で最大の屈辱であり今なら人権侵害問題だと思っている。ただし、亡き母がふと幼稚園を覗いたら、合唱の時間に私だけが寝転がって参加せず一人で遊んでいたのを、後日何度もくどいほど聞かされウンザリしていた。同様に集中力散漫も念仏のように言われ凄くイヤだった。従って、私の血を引く長男も私に劣らず集中力散漫だが、あまりウルサクは言わない。
小・中では友人は居たが、いまは全て音沙汰無し。ただし、小5,6の学習塾で一緒だった人と偶然高校で一緒のクラスとなり、その彼とは40年以上切れずに続いているし直接会えば、気持ちは直ちに昔に戻って、今でもお互いがフレンドリーであることを確かめられる。高校時代は人並みの付き合いは出来ていたと思うが専らバイクが親友であり、今では同窓会の集まりも悪いし、その昔、多感な時期に沢山の時間と経験を共有することで絆が出来て、自分では親友と思っていた人たちも、今を生きることで精一杯なのか?フレンドリーな関係には簡単に戻れないのを、最近のメールや電話で痛感した。*この次点で高校時代の同級生は仕分けしたことになる。ただし、最近FACEBOOKとMIXIで4名は関係が復活した。
大学では1名を除いて音信はなく、社会人になってからは、社員同士のお友達クラブが大嫌いで、あえて先輩・後輩の群れにも馴染まず、友人も作らず孤高の仕事の鬼だったが、営業成績だけは悪くは無かった。さらに管理職になってからは、仕事が向いていないと思われる部下を『自信を持って、貴方には今より適職が必ずある!と』多数く退職・転職させ、出来の悪い社員をクビにするには私の部署に転勤さればいい、と会社から思われていた気もした。そんな中でも、当時の部下の何人かは慕ってくれて、私も、彼等が何を見て、何を考えているかを常に考え、今でも交流があり友人と思っている。
そもそも私が思う友人とは、過去に何らかの繋がりを持ち、それをきっかけに交流があった人物の中で、今でも、お互いがフレンドリー(好意的、友好的)と思っている人だと思う。そして、そのフレンドリーとは【繋がっている関係】であると私は考え、それは
1.現在は頻繁な交流が無くとも、お互いが、何を見て、何を考えているのか?を解り合えているか、案じているか、またはその努力をしているかどうか
2.その人の思いを自分のものとして受け止め、ともに歩むことが出来るかどうか
3.そして、その関係維持のため、カネ・ヒマを惜しまないか
が要素と考えている。さらにそれは意外と流動的であり、お互いが繋がる努力を続けるかどうかが分かれ目であり、放置すれば自然消滅で消える関係であっても、沢山の人とこの関係をうやむやにして生きていくのが最近何となく自分でイヤになってきた。特に年賀状(私は一切出さない)で『今年もよろしく!』でありながら、一度も会わない関係はまさに中途半端で私が一番嫌いな関係というか距離感だ。それと会ったこともない子供の成長を自慢する写真賀状も私は大嫌いだ。子宝に恵まれない夫婦にそれら写真はどのように感じるのか?また、不妊を理由に離婚した人もいるし、、
人生における出会いと別れはどちらも大切だが、出会いは記録・記憶としてしっかり残るが、別れは(法的契約を伴う離婚は別にして)やはりどうも、うやむや過ぎる気がする。そこで【何を見て、何を考えているか、案じているか】がお互いに判らない人には、自然消滅を待たずに、敢えてこちらから『さようなら』に近い意味のことを最近伝えている。つまり【友達仕分け】で身辺を自分勝手に整理した。さらに固辞したのに来た意味のない歳暮には、生まれて初めて受取拒否もした。これでお互いの過去を気にせずに新たなステージに進めることになると思う。見方を変えれば、全く身勝手な話だが、自由にしてあげれば、自分も自由になれるんだなあ!