小川清史の自動車歴
幼児の頃、自動車が大好きでルノー4CVの白タクを見ると、手を挙げて止めてしまい周囲を困らせたらしい。ちなみに父は昭和30年前半にはナッシュというアメ車に乗っていた。
小学生の頃、スズキの軽トラ(多分スズライトキャリイL20)で行く銭湯への往復では、父の膝に座ってハンドル操作をさせて貰い、初めて運転の醍醐味に目覚めた?
中学生では父のプリンスグロリアを無断で車庫の周辺で動かしていた。しかし15歳でバイクに興味が移ってしまったので、無免許で高校の仲間とディーラーの試乗会荒らしを繰り返して、ヒール&トウもカローラレビン(TE26?)の試乗会などで覚え、同乗するディーラーのヒトに運転がウマイと褒めたれたりした。結局免許を取ったのは23歳の就職面接で営業は四輪免許が採用の条件と言われ、教習所には行かずに事前に数時間だけ無認可の貸しコースで練習して友人に練習証明を書いて貰い鮫洲試験場で仮免、本免ともに一発で取った。
以下は購入履歴
初代ローレルC30(東京日産の友人から下取中古のコロガシで3万円で購入)に始まり
ブルーバードSSS(P510中古 ローレルと同額で交換) その後3万円で高校の同級生に譲った。
510は出たときに父と晴海のモーターショーで見たときは、前進3段だったような、、そういえば初代プリンス・スカイラインGTも3速だったような、、この車両はアクセルを踏み込むと4独のリアサスがぐっと沈んで加速するのが懐かしい。またラジアルタイヤではなくバイアスのボロタイヤだったので、富士山の表富士周遊道の下りでタイヤ過熱から発煙して、料金所では晴天なのにタイヤスモークで霧の中のようだった。それと、学生時代には、この510を友人2名が所有しており、そのうちの1台のクラッチが滑って来たので、自宅近くの線路脇でブロックに前輪を乗せてジャッキの代わりとして、所有者の友人と2人で見よう見まねでクラッチ交換をした。(最後に組み上げるとねじが少し余ったが当時は気にしなかった)これはガソリンスタンドでバイトしている19歳の頃で、当時は未だ運転免許は無かった。
マークUハードトップ1900GSL(中古) 当時、勤務先の上司より35,000円で購入
レザールーフがひび割れており、上司に文句を言ったら、靴クリームで誤魔化して私に売ったことを白状した。後日その上司は殺した(ウソ) さらに富士山でブレーキ過熱から車両火災を起こし、マツダへ下取り
プログレス・コスモ新車 (赤のコスモ)35万円値引きの車両本体85万円で買い、2年乗って120万円で下取り。しばたはつみのCMで当時のデートカーだった。以後2年間隔で4台国産車を乗り換える。このクルマに最後に乗ったのが最初の妻だったが、その妻とは2005年に離婚した。
RX−7(SA22Cの6PI)新車 2年乗って次も同じRX−7の今度は、ロータリーターボの新車(ルマン参戦記念限定車)に乗り換えた。インタークラー無しで、インジェクション問題からクレームでエンジン載せ替えた。2台目も2年で売却145万円
アコード 2.0Si新車 ホンダ初の2リッター 20%OFFの社販で買ったら、待たされた上にB級車(不良新車の再調整品)だった。
クレスタ2JZツインターボ新車 300万円で280馬力だけ魅力 40万円値引き 2年で売却165万円
大幅改造 ARCインタークーラー、フジツボマフラー、レピック、ブリッツ・ブーストコン モモ・ステアリング、ワイドタイヤ&アルミ
等を乗り継ぎ21年前に911の道へ ということは、最近の約20年間は変化無しで、これからも変化無し!
もう車に500馬力とかは要らないなあ。
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