GUN


2015.03.13 2Fオーデイィオルームのリフォームで、壁にビス穴が沢山目立つので、収納していたGUNの大部分をディスプレーした。



私のGUNの始まり


Around 1960 My Dady give me this MATEL .38 Snub Nose. And Passed just 50years, I gave same gun to my Son.

1960年頃だったが、駄菓子屋で売っていた銀玉鉄砲や紙巻き火薬のブリキ鉄砲等に比べて、格段にリアルな米国マテル社のダイカスト製のリボルバー式拳銃の玩具(名称:スナブノーズ=獅子鼻)を父が買ってくれた。当時としてはコレが日本で最初に登場した本格的な拳銃玩具であり、私はエポックメーキングな玩具だと思う。Wアクション専用で、キャップガンと呼ばれる樹脂の弾丸をバネ仕掛けで薬莢先端から差し込んでハンマーの振動で飛び出るのと、薬莢の背面に専用火薬を貼り付ける方式だった。さらに当時はモデルガンという名称は未だ無かった。さらにこのモデルを黒く塗って売り出したのが、往年のMCGの始まりらしい。
今思えば当時の父の行為が私の趣味嗜好の人生を大きく変えたと思う。そして、ちょうど50年後に同じモデルをE−Bayで探して入手して、長男に引き継いだ。



1970年代はじめには新聞連載のコミック“ディック・トレーシー”とタイアップ、専用ホルスター付きで再販されたらしい。


2012.12.13 あまりの懐かしさにe-bayで落札。丁度50年前に父から貰ったのと同じGUNを長男に引き継いだ。




2015.02.07 初めてBB弾でシューティング

    
1963年頃、映画『OO7シリース』でショーン・コネリーがワルサーPPKを愛用しており、その映画撮影でも一部使われたのが、MGC製の玩具であり、これが日本のモデルガン発祥の起源だったようだが、当時新宿のMGC直営店(ボンド・ショップ)に自転車で良く通っていた。以後、硝煙の香りに酔いしれてガバメントの初代ブローバック版までの規制前に火薬系のモデルガンを大量に持っていたが、15歳でバイクに興味が完全に移り、そのモデルガンは全て処分し消えてしまった。従ってその後に出たベレッタM92、グロッグG17やワルサーP99等の樹脂製ガン、デザートイーグルなどを(映画で見る程度で)詳しくは知らない。


以後、40年間以上のブランク その間ハワイでは実物の射撃を何度も楽しんだ。


2010年〜 50年以上前に父がしたように今度は私が長男用に玩具の拳銃を何かで見かけると、その都度買い与えている。でも安全チェックを建前に、ヲトーサンが先にタップリ遊んでから子供に渡しているけど。 ただし、子供には、ヒトには銃口を向けないことだけは徹底して教えている。

  
KIDS GUN FIRE GUN AIR−GUN


【アブナイ性格と経歴】
実は私が中学生の頃、発火式モデル・ガンがめちゃくちゃ大好きだったが(このカテゴリーの友達は皆無だった) そしてモデルガンメーカーのコクサイ、ナカタ、MGCは今はもう無い。さらにブローバックは良いとしても、今の主流である弾の飛び出るBB弾のガス・ガンは好きではないし、サバイバルゲームで人を撃つなどは絶対に私には出来ない。やはり硝煙の臭いと爆裂音が無ければ雰囲気は出ないなあ。そこで陸上競技用の火薬ガンでうっぷんを晴らそうか?(掃除も楽そうだし) でも長男もガンは大好きなようだ。これは親子でヤバイ傾向だ。一応ヘッケラー&コッホのP−30の名前を長男は覚えた。







引き出しにしゅうのうしているGUNを壁にディスプレーするか、GUNラックで迷ったが、アマゾンUSAでハワイのホテル送りで発注した。$13ぐらい。







2015.03

コルトのシングルアクションアーミーでご満悦